自宅からチャリでウミネコカレー→井の頭公園→光ヶ丘公園と辿り着いてレジャーシートの上で缶チューハイにありついた矢先に冨田勲の訃報を知る。手持ちのiPodに入っていたはずの月の光も惑星もない。プライムミュージックにあった。
1971年に冨田勲がムーグIIIを輸入していなかったらという『たられば』を夢想する。NHKや教育テレビに提供された冨田勲の音楽は子供だった我々に楽音以外にトーンが音楽の印象を決定付ける事を教えなかったろう。また、松武秀樹は冨田勲の弟子をしていなかったろうしYMOはシンセサイザーを使わない擬似エキゾチカの一グループに留まっていたかもしれず国産のメーカーはコンシューマ向けのシンセサイザーを作らなかったかもしれない。CR-78は作られてもTR-808は作られずヒップホップもハウスもデトロイトテクノも現在とは全く異なった音楽であったろう(それはそれで興味深いし聴いてみたい)
晩年も隠居することなく創作を続けていたことを考えても人はやりたい事をやるべきだと思うのだ。